ストレングス・ファインダー!

おはようごさいます!

こんにちは!

早起きで爽快です!

 

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ストレングス・ファインダーしてみました。

本屋さんに行って、表紙が「才能に目覚めよう」なので身が引けました。

読んでみると、「自分の強みを見つける」という言い回しをしてくれていたので、安心しました。自己分析、、、、自分のことをあまり深く考えたことがないので新鮮です。いつも一緒に居る友達に軽く言われることは「変だよね」ばかりです。

本文の、あなたは「強みのゾーン」にいるかという言葉に興味を持ちました。強みのゾーン…趣味とか好きなことだとどんどん特質していくので強みになっていくのでは?と思いましたが、素質での強みのゾーンは考えたこともないです。ほとんどの人が自分の強みを知らない、または知っていても説明の仕方を知らないと書いてありました。働く時にも人間関係を築くにも、強みを知っていて損は無いなと感じます。ただ、強みを知ったからといって、その反対の弱み(自分が苦手そうだと断定ができてしまうこと)に挑戦しなくなるのも嫌ですね。

 

さて、本題へと入ります。

ストレングス・ファインダーは177個の質問に答え、強みが導き出されるものです。

34個の資質の中から5個が選ばれます。

私の結果は

○内省

○個別化

○原点思考

○共感性

○適応性

でした。

 

それぞれの説明を読んでいくと、かなり当たっているのでは?と思いました。ただ、占いだってそういう思考に惑わされるし、私はこの場合「ポジティブ・活発」系以外だと、大きく当てはまると思います。予想通りそれらは出ませんでした。

「内省」には、考えることが好きと説明してあり、自分でもそう思います。ですが、考えて結果を出すことが好きなわけではないので、この資質は、何を考えているかというところまで影響するわけではない。とあり、自分の気持ちを肯定されたような気分になりました。

 

 

「適応性」には、将来は自分の選択によって変わり、予期せぬことが起こっても容易に対応できると書いてあります。共感できる部分もありますが、私は様々なことに必ず対応できる自信まではありません。面白いと思ったのは、予期せぬことを期待している部分があるという指摘です。たしかに、私にはその節があります。その方が面白いし…なんて思ったりもします。

 

これらの結果は、自分に当てはまると思うこともあれば、苦手な方だな…と感じることも少しありました。その苦手な部分も理解し挑戦してみると、より強みを伸ばすことができそうです。これを基礎にし自己PRにも活用していきたいです。

 

ストレングス・ファインダーとても面白いですね。これによって、自分の中で世の中の人を理解したいとまで思いました。先週のゼミのチームのみんなの結果も気になります。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました(^。^)

ゼミ「スケジュール」

後期のゼミが始まりました。

あっという間すぎてびっくりです。

引き続きオンライン授業なのでなんともいえない気持ちです…

そんな中ゼミ活動は、3チームに分かれ、1チームごとに対面の週があります。

今週、私は対面では無かったですが、画面から学校にいるみんなを見て、懐かしい気持ちになっちゃいました。笑

 

今回チームに分かれ考えたことは、ゼミでなにをしていくか・個人のスケジュールを決めることです。

 

まず、私たちのチームは就活に関してピンとくるような業界を定めている人は少なく、まずはどんなところがいいか悩み中だったり、選択肢が増えて分からなくなったりと、まだ決まっていない人がほとんどでした。そして、私もですが、自分と向き合う・見つめ直すという考えをもつ人が多いように感じます。ただ、自己分析をしたとしてもあまり納得がいかず、それどまりになってしまうという意見もありました。このことから今後のゼミ活動で「他己分析」を行いたいとなりました。そして「構想を共有」することもしていきたいです。自分ではなく、他のみんなの意見をたくさん聞きたいという思いからです。

 

森田先生からこの日までに◯◯をするというような具体的なスケジュールを立てることが、大事だと教わりました。たしかにその通りだと思います。いつも後回しにしてしまう私なので、スケジュール帳にも日にちだけ入れるのではなく、時間まで決めて入れておいたほうが、気が引き締まります。

それぞれ今週にするべきことを決めました。私はまず自己分析もしていないので、ストレングスファインダーをしてみようと思います。

今週なぜかアルバイトをつめつめに入れてしまっていたので、日にちを分けて行います。

 

27日24:00〜ストレングスファインダーを使って分析する

28日10:00〜12:00 ブログにまとめる

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私は、みんなよりも就活に取り掛かっていないのでそろそろしないとなあ の気持ちです。

自己分析は、自分でも知らなかった自分が見えてきたら良いなと思います。

では、また分析結果のブログでお会いしましょう(^。^)

 

 

ゼミ「古典~続きを考えてみる」

こんにちは!

もう、前期が終わりがけなんて信じられないです…

あっという間に夏も終わりますね。

 

ゼミの内容は、引き続き古典です!

今回は、「源氏物語」の続きのお話をみんなで考えてみました。

源氏物語自体は、有名な古典でもちろん聞いたことはあり、授業内容でも触れたことはありますが、物語の中身を全然覚えていなかったので、横山先生のお話を聞きながら、少しだけ思い出したりすることができました。

講義中では、男女のドロドロした関係が印象的でした。古典は読み進めていくことが難しい印象ですが、内容としては現代に精通していたり、その逆で今では考えられないことが起こったりと、大変面白いと思うので、他の物語にも興味が沸きました。

 

また、「作者が登場人物に姿を重ねる」という表現を先生がされていて、とても興味深いです。架空の人物像に姿を重ねるというのは、元からそのような人物像なのか、物語を進めていく中で感情移入してしまったということなのか、これを深堀してみても面白いなと感じました。

源氏物語は、三部構成になっており、終わり方が曖昧なままだそうです。

それはなぜか考えた時に、みんなの意見にもあったように、読者に結末を委ねるという意図だと個人的には面白いなと思いました。

 

 

そして、その続きをみんなで考えてみよう!ということです。

3人グループに分かれて、話し合っていきました。はじめは、古典の物語の続きを考えていくなんて難しくないか・・?という気持ちも大きかったですが、他の二人の意見を聞きながらだと、私の考えも生まれやすく、意見交換がしっかりできたように感じます。結末は、誰かと結ばれるなど分かりやすく具体的なものでもいいですが、あえて再度曖昧なままでもいいねという意見が出ました。

今の文学で考えると、一度終わった物語に続編!となっていざ出版されると曖昧な結末・・となると批判的な意見も多そうですが、笑 ただ、曖昧な結末を続けることで、読者に考えさせたいという意思をしっかり伝えることが出来るので、個人的には曖昧路線が好きです!

 

私たちのグループでは、結末はすれ違いという少しだけ曖昧な要素も取り入れつつ、現代の昼ドラのようなドロドロした展開にしようと、登場人物(男)を新たに増やした物語にしました。物語を考えていくのは、自由な発想ができるので、楽しかったです。

 

そして、他のグループの意見を聞くと、どのグループもしっかりとした物語になっていて凄いなと感じました。また、既存する登場人物の駆け落ちや、結ばれないという結末もあり、物語の方向性は無限大だと思えました。

 

古典の内容を通して大きな問いである

 ・なぜ古典が必要なのか

を考えてみます。

 

もちろん、古典の講義が始まってすぐに感じていた考え、歴史を学ぶことが出来る・昔の人の気持ちを知るといったことも大事だと思います。

ですが、先生がおっしゃっていた、現在を逆反射・現代の当たり前を疑うことが出来るといった意味が以前より分かった気がします。言葉が全然違ったりもしますが、内容を見ていくと、現代と比較できるところがあり、また、比較をすることでより古典に親しみを持てるなと気付きました。

 

古典の講義では、問いを出されてすぐに答えることがあまり出来なかったので、難しい印象を持ってしまいましたが、内容は面白く私は好きだったので、終わってしまうとなると寂しいです。横山先生、ありがとうございました!

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^

 

 

 

 

ゼミ「古典」

こんにちは!

なんともう、7月です!!!

あっという間ですね…

最近は、様々な授業の課題がどんどん出ていて億劫になっています…これは提出したっけ?と自分の中でも混乱しています…笑

さて、、、

今回は、新しく古典の内容に入っていきます!

横山先生が古典のお話をして下さいました。

私は佐世保出身なので、長崎出身だという横山先生に親近感をもっちゃいました(^。^)

 

はじめに、古典の印象というと、

私はどちらかというと好きな方でした。

受験科目なので必須ではありますが、あまり嫌々やっていたイメージはありません。なぜ、好きかというと、[古典単語を語呂で覚える]ということをしていて、とても面白く、それを基に訳すことが楽しかったからです。同じ国の言葉なのに、今と比べると古文は、全然読み取れなくて苦戦もしていました。他のみんなの意見を聞くと、ただ受験科目だった・わりと好きだったなど様々でした。

 

今回の授業での問いは

 

 古典は本当に必要なのか?

 

です。

問われてすぐは、なかなか自分の考えをまとめることができなかったですが、改めて考えてみると、私は受験する為に勉強していたことが第一だったので、必要なのか?と疑問に思ったこともありませんでした。古典は、昔の物語を解釈することで、昔起こった出来事を知るという、日本史に似ているところがあると思います。大きく考えてしまいますが、日本史が必要なのか?と問われても、なんとなく必要だと認識があります。なので、古典の必要性の入りも、なんとなく必要だ だと思います。そこから、古典を学ぶ理由はなにかを考えると、みんなが出してくれた意見のような、歴史を学ぶことができる・昔の人の気持ちを考えるという理由があると考えます!

 

 

先生が話してくださった、古典を学ぶ理由はとても納得するものがたくさんありました!

 

・現在を逆反射する

・現代の当たり前を疑うことができる

 

私は、古典を学ぶ理由を問われた時に、[昔]という考えに捉われていたのだな、と思わされました。[今]を見つめ直せるという考えは、全く思い浮かびませんでした。たしかに、昔と今を比べることができるし、そこから皆の常識を疑うというのは、古典を学ぶ理由としてとても大きなものだと思います。

 

そして、今使われている言葉は、過去から受け継いでいて、古典的な世界の延長とされると聞いて、高揚感を覚えました。古典的な世界の延長という響きがとても好きです。今は略語・外来語など様々な言葉が入り混じり、私も使ってしまっていますが、昔の言葉の言い回し・響きの方が綺麗だという印象があります。なのでその世界の延長だと言われると嬉しい気持ちがあります。

 

また、米津玄師さんのLemonを取り上げたお話では、この曲は「レモン哀歌」という小説から少し影響を受けたと聞き、知らなかったので、驚きました。米津玄師さんの曲に限らずとも、古典をなにかに取り入れることで、作品を豊かにすることができると言います。それは、今の言葉からはあまり思い浮かばない、言い回しができたりと、表現方法の豊かさがポイントなのかなと思います。

 

古典の問いを問われたら、なかなかすぐに答えることが難しいですが、自分なりの考えをしていけたら良いなと思います。引き続き、頑張っていきます!

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます^^

 

 

 

 

 

 

 

ゼミ「哲学を深める」

こんにちは!

今回も引き続き、哲学の内容の授業です。

まずは、先週の内容の復習です。須長先生が、授業内で使用していたテキストの説明をして下さいました。特に話し合いの中でも疑問だった、「同一化」「罪責感」という難しい言葉を使用していた部分の説明があったので、理解を深めることが出来たように思います。テキスト中の、父親を同一化するという表現が、あまり理解できないままでしたが、説明を聞くと、自分を超えたおっかないのを同一化することで怖さをなくすこと、とあったので、同一化という表現が、私の頭の中にも少しだけ浸透したように思いました。

 

差別については、独立していたと思われる言葉などが、思わぬところに繋がり軽蔑・差別に繋がったりします。また、単純な言葉だとしても、言ってない何かを含んでしまうこともあると言います。これらは、私自身にも起こりうることだと感じました。もし、私が当事者になる場合は、発言する側にも、受け取る側にもなりえます。しかし、私が思ってもないことを不快に捉えてしまう人がいると考えると、凄く難しく感じてきました。人とコミュニケーションをとる際に、すれ違うことは仕方のないことだとも言えます。

 

さて、今回の授業内容に触れていきましょう!!

哲学対話で大切な、自分の言葉でゆっくり話すということを意識しながら、話し合っていきました。

 

われわれは自分が愛着を持っているコミュニティーに対して、他人にも同じように愛着を持ってもらいたいと思うのはなぜか

 

②怠け者のB君を「人間として」尊敬しなさい、という言葉はなぜ問題なのか

 

という二つの問いについて考えていきます。

 

まずは、①からです。私が持った考えとしては、そもそも他人にも同じように愛着を持ってほしいとあまり思いませんでした。

愛着を分かりやすく好きなものと捉えると、私が好きなものは、人にも好きになってほしいという考えがないからです。どちらかというと、たくさんの人がいればいるほど感じることができる、人によっての違いを楽しみたいタイプです。グループで話し合った際にも、そもそも・・・という同じ考えの人が出てきましたが、どういう場面で①のような気持ちになるかを考えたときに、組織感という言葉が出てきて、例えば学校の行事などで文化祭・運動会など自分のコミュニティに愛着が沸くという例には納得しました。たしかに、自分の学校生活を振り返っても、クラス全体で何かを頑張るという、愛着の共有感が漂っていたからです。組織の中では、リーダーなど役職の責任などから、愛着へと繋がるという意見もあり、そういう立場だとより一層、愛着を共有したいという気持ちは強いのかなと考えました。

私一人の意見だと、問いに沿う考えが出来ませんでしたが、みんなの意見を聞きながら、考えを深めることで、問いの答えに少しでも近づけるなと、嬉しくなりました。

 

 

毎回、二つの問いがあると、難しくて、はじめの問いにほとんどの時間を使ってしまいます(-_-;)なので②はあまり話し合えず、私もよく分からないままでした。

改めて考えてみると、まず、テキストでは怠け者のB君を、勤勉なA君と比べています。人と比べてしまうことはあったとしても、勉強ができない・怠けた態度をとっているからといって、人間として尊敬できないとまでなるのかな?と疑問に思いました。なのでこの言葉を言うこと自体に問題はないと考えます。しかし、比べているA君の気持ちに問題が出てきてしまうと思いました。もし、勉強を頑張ることや良い行いが内発的なものではなかったら、B君が尊敬される(認められる)ことに矛盾を感じてしまうように思えるからです。なので②の問いに関して、問題なのかは半々な気持ちです。

 

余談ですが、私はソクラテスという哲学者が好きなので、須長先生が議論のキーワードとして、ソクラテス的窮状を取り上げていて、嬉しくなりました。問いを問い続け、無知の知に至ったという例は、「汝自身を知れ」という私の好きな言葉と通じています。

 

最初に比べると少しだけ、哲学に慣れてきたと感じましたが、まだまだ難しいので、残り少ないですが、頑張りたいです。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^

 

ゼミ「哲学に触れる」

こんにちは!

引き続き、哲学に触れる内容です。

今回の授業では、須長先生から哲学についてのお話がありました。哲学とはと聞かれてうまく説明できない私でも、分かりやすい内容だったので、まとめていきます!

 

まず、哲学は普通の学問とは違い、知識や価値観に危ない一面があるみたいです。

それは、一旦自分の中に取り込むと、それに囚われ抜け出せないという一面です。

たしかに普通の学問だと、学んだままの知識をもとに、解答を導いたり応用していきます。しかし、哲学の場合で考えると、自分の中にある知識をもとに考えても、新たな考えを出しにくく、深い話し合いをすることや良い回答を導き出すことが、難しいなと思い、納得しました。

白黒の二枚の絵を見せてくださいました。「この中に何が見えるか?」という質問でしたが、私には最初、何も浮かび上がってきませんでした。悔しいです(>_<)

しかし、動物が隠れていると正解を聞いた後では、私の目にも動物が浮かび上がってきて、ずっとそれに見える状態でした。これは一度入った情報に囚われてしまうということです。今回、最初からなにかに見えなかったのですが、もし見えていら、正解を聞いた後では、もっとその正解に見えてしまうのでは?と感じました。

このことから、知識は我々を成長させてくれるけど、元の価値観に戻れないといいます。なので、これらの身に着けた知識を揺さ振ることが哲学的だと聞いて、新たな考えを生み出すには、全てを真っ新にする行為が大事だと感じました。

哲学を学ぶ上で、当たり前のものを当たり前と思わないスキルや、馴染みのあるものをないようにするスキルがついてくるといいます。私は、これらがとても大事だと思います。哲学に限らず、日常生活での価値観も変えることができると思うからです。

 

 

今回の授業では、具体的に二つの問いがあり、グループに分かれ話し合っていきました。

 

  1. なぜわれわれは「あなたは差別している」と言われたくないのか?
  2. 差別をしたくない場合、どうすればいいか?あるいはそもそも、差別はしてしまっても仕方ないものなのか(だとしたら、なぜ世の中ではかくも「差別はいけない」と言われているのか?)

 

私が持つ考えとしては、1は自分では差別をしないという意識の中で、もし指摘されてしまったら、自分が気付かないうちに人にそう思わせてしまったのか…と悲しい気持ちになるからです。そこで繋がるのが2です。差別をしたくはないです。しかし、無意識のうちに誰でも思っていることはあると考えます。なので、差別はしてしまっても仕方がないといえます。ただ、私の意識の中にあるように、世の中でも差別はいけないという意識があります。それはなぜかといわれてしまうととても難しいです。共通認識だから?その行為によって傷つく人がいるから?

 

グループで話し合った際には、そもそも差別をしていると言われてもいい、という人も出てきました。なんでかなと疑問に思いましたが、差別をしていたと気付くことが出来ると言っていたので、私もその気持ちは少しあるなと思い、同感しました。ただ、どちらかというと、言われたくないという気持ちは大きいままです。

 2の問いは一人で考えるには難しかったですが、他の人の意見を聞いてみると、世の中で差別がいけないというような風潮なのは、そう教育されてきたからという意見がありました。たしかに幼い頃からの教育の影響は、少なからずあるだろうなと思い、納得しました。道徳という授業が必須なところからも伝わってきます。

みんなで疑問に思うことを出し合えましたが、なかなか答えを導き出すことは難しかったです。引き続き、哲学と向き合い頑張っていきたいです。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^

 

 

 

 

 

 

ゼミ「哲学」

 こんにちは(^▽^)/

前期期間すべてが、オンライン授業だと決まり、大学の友達とはますます会えなくなってしまいました…大学付近の、あるラーメン屋さんが凄く好きで、お腹が空いては、そこのラーメンを思い浮かべ、もう恋しい気持ちにまでなっています。

ゼミも、引き続きオンラインでの活動です!

 

さて、今回の内容ですが、

「哲学」です!!

哲学という言葉を聞くだけで、堅いイメージをもってしまい、普段から私とは程遠いワードですが…どうなるのでしょうか?!

 

哲学の内容として、「差別感情の哲学」という文章をグループに分かれ、音読し、考察していきました。難しい言葉も多く、ゼミの時間内で理解することはとても難しいことでした。みんなの意見を聞き、なるほどと思うこともあったので、それらを踏まえ、A・B・C・Dに分けられた文を考察していきます。

 

Aの段落のみ授業内でも読みましたが、ゆっくりと考えていきます。

大まかにいうと、悪意に基づく差別の捉え方についてだと考えます。ただ、その表現の仕方がなかなか難しい…

 「現実的には外形的に他人に危害を加える行為の内的動機を抉り出すことは虚しいであろう。」とあるが、実際に想像してみたときに、納得するものはあるが、同時に、内形的の場合もそうではないのか?と疑問をもちました。

また、差別に対する言及として、悪意が一概に悪いものだと断定はできないということが伝わってきます。

それは、悪意=攻撃性があることで、文化が成立することや、これがないと支配的な位置に達せっず、大きく種族として生き残れないともあります。

これらを踏まえ、悪意を一掃するのではなく、悪意を持ったまま制御することが大事だといいます。

はじめは、悪意に基づく差別の捉え方についてだと思いましたが、あまりにも悪意について焦点を当てているため、読者へ悪意の捉え方を提案しているようにも、思えてきちゃいます…

 

次にBの段落に入ります。

快・不快が大きなテーマとなります。

これらを人に対して感じたり、もしくは自分が人から感じられることは、傷ついてしまいます。しかし、快・不快を統制することは感受性を枯渇させてしまうという表現があり、表現の自由に基づき、生活をしていく中では、むしろこれらの感じ方が、欠かせないのかもしれないとも感じました。また、もし人に対して不快に思うことがあったとしても、おもむろに表現せず「不快であっても不快でないように振る舞え」という通俗道徳は、たしかに私の心にも浸透しているように思えます。

私が一番気になったのは、「日々不快を好きなように放出している人でも、公認された被差別者に対してだけは、不快を表出しないように賢く振る舞っている。なぜなら、そう振る舞わないと身の危険を招くからであり、社会的に葬り去られるからである」の部分です。ここでいう被差別者は障害者や浮浪者を指していますが、その他大勢の人々でも、なぜなら~の後半部分の文が当てはまると思ったからです。もし、仮に不快な表現を示していいとするのなら、家族・友人などの余程の親しい中であれば、許されるかもしれません。ここで気になった言葉は差別感情のスペクトル」です。

この場合、差別感情の範囲だと捉え考えていくと、人の感じ方・捉え方次第で変わってくるのでは…?と思いました。私が例に出した親しい家族・友人の場合だと不快を表す側は、相手の許容範囲を知った上で、思ったことを伝えることができ、受け取る側は、その言葉の裏側まで感じ取れるからです。(言葉の裏側は、その人の特性を理解しているうえで、直したほうがいい部分を指摘するようなものだと考えます。)

 

次に、Cの段落へと入ります。

この段落では、少し、差別というテーマから遠ざかったような印象を持ちました。

まず、人間の帰属意識についてですが、考えたこともなかったが、とても大きいものだと思います。国・民族・家族・出身校などが挙げられているが、これらを表す言葉として、母国や母校などをよく耳にするので、帰属意識の高さを感じ取れます。同じものを表す言葉ではありますが、私の主観では、後者の響きには愛着を含めたものが感じられます。そして、帰属意識を愛することに由来する差別感情は、ある意味で自然である。という言葉に、なるほどなとなりました。個人では差別感情が生まれなかったものでも、集団になるとランク付けなどの差別感情が生まれていることが、あるからです。これらの帰属意識には、アイデンティティが伴うという。集団に属している自分を含め、自己だということだろう。

 

最後に、Dの段落です。

ここでは小学生の頃や、幼い頃からの教育によっての差別意識が取り上げられています。「よいこと」を教えられているため、そうではない者と比べ蔑むことが、なんら自然だといいます。たしかに、賢い子供はたくさんの勉強をしていく中で、他の子と比べながら軽蔑・差別意識を持ってしまうかもしれない。ただ、このことを利用し一つ言えるのは、競争精神として、自分を育てるという側面があるということです。近年、差別問題を取り上げていることは多いが、この幼い頃から自然と植え付けられているような、差別意識について言及していることは滅多にみない。実際に、小学生の頃から「あの子よりできた!」など優越感の感覚はありましたが、それを差別意識だとは思わず、自然なものだと今でも捉えています。なので、この段落は、私にとってかなり難しいお話だといえます。「成績も悪く、素行も悪く、怠け者であるB君を、それでも人間として、尊敬しなさいという教師の言葉は、はたしてどのくらい子供たちの心に訴えうるのか、真正面から考察する必要があるように思う。」とあるが、少しでも良いところを見つけようとする心があるとすれば、そんなすぐには、人間として尊敬できないの対象にはならないのではないか…?と考えました。

 

「哲学」に初めて取り組んだ感想としては、もう少し簡単に言えそうなのに難しい言い回しが多くて、読めば読むほど、どういう意味だ?!となってしまいました。

これは捉え方がポイントだと思うので、他のみんなのブログを読んで、考える幅を増やしたいなと思いました。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^