ゼミ「哲学に触れる」

こんにちは!

引き続き、哲学に触れる内容です。

今回の授業では、須長先生から哲学についてのお話がありました。哲学とはと聞かれてうまく説明できない私でも、分かりやすい内容だったので、まとめていきます!

 

まず、哲学は普通の学問とは違い、知識や価値観に危ない一面があるみたいです。

それは、一旦自分の中に取り込むと、それに囚われ抜け出せないという一面です。

たしかに普通の学問だと、学んだままの知識をもとに、解答を導いたり応用していきます。しかし、哲学の場合で考えると、自分の中にある知識をもとに考えても、新たな考えを出しにくく、深い話し合いをすることや良い回答を導き出すことが、難しいなと思い、納得しました。

白黒の二枚の絵を見せてくださいました。「この中に何が見えるか?」という質問でしたが、私には最初、何も浮かび上がってきませんでした。悔しいです(>_<)

しかし、動物が隠れていると正解を聞いた後では、私の目にも動物が浮かび上がってきて、ずっとそれに見える状態でした。これは一度入った情報に囚われてしまうということです。今回、最初からなにかに見えなかったのですが、もし見えていら、正解を聞いた後では、もっとその正解に見えてしまうのでは?と感じました。

このことから、知識は我々を成長させてくれるけど、元の価値観に戻れないといいます。なので、これらの身に着けた知識を揺さ振ることが哲学的だと聞いて、新たな考えを生み出すには、全てを真っ新にする行為が大事だと感じました。

哲学を学ぶ上で、当たり前のものを当たり前と思わないスキルや、馴染みのあるものをないようにするスキルがついてくるといいます。私は、これらがとても大事だと思います。哲学に限らず、日常生活での価値観も変えることができると思うからです。

 

 

今回の授業では、具体的に二つの問いがあり、グループに分かれ話し合っていきました。

 

  1. なぜわれわれは「あなたは差別している」と言われたくないのか?
  2. 差別をしたくない場合、どうすればいいか?あるいはそもそも、差別はしてしまっても仕方ないものなのか(だとしたら、なぜ世の中ではかくも「差別はいけない」と言われているのか?)

 

私が持つ考えとしては、1は自分では差別をしないという意識の中で、もし指摘されてしまったら、自分が気付かないうちに人にそう思わせてしまったのか…と悲しい気持ちになるからです。そこで繋がるのが2です。差別をしたくはないです。しかし、無意識のうちに誰でも思っていることはあると考えます。なので、差別はしてしまっても仕方がないといえます。ただ、私の意識の中にあるように、世の中でも差別はいけないという意識があります。それはなぜかといわれてしまうととても難しいです。共通認識だから?その行為によって傷つく人がいるから?

 

グループで話し合った際には、そもそも差別をしていると言われてもいい、という人も出てきました。なんでかなと疑問に思いましたが、差別をしていたと気付くことが出来ると言っていたので、私もその気持ちは少しあるなと思い、同感しました。ただ、どちらかというと、言われたくないという気持ちは大きいままです。

 2の問いは一人で考えるには難しかったですが、他の人の意見を聞いてみると、世の中で差別がいけないというような風潮なのは、そう教育されてきたからという意見がありました。たしかに幼い頃からの教育の影響は、少なからずあるだろうなと思い、納得しました。道徳という授業が必須なところからも伝わってきます。

みんなで疑問に思うことを出し合えましたが、なかなか答えを導き出すことは難しかったです。引き続き、哲学と向き合い頑張っていきたいです。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^