ゼミ「哲学を深める」

こんにちは!

今回も引き続き、哲学の内容の授業です。

まずは、先週の内容の復習です。須長先生が、授業内で使用していたテキストの説明をして下さいました。特に話し合いの中でも疑問だった、「同一化」「罪責感」という難しい言葉を使用していた部分の説明があったので、理解を深めることが出来たように思います。テキスト中の、父親を同一化するという表現が、あまり理解できないままでしたが、説明を聞くと、自分を超えたおっかないのを同一化することで怖さをなくすこと、とあったので、同一化という表現が、私の頭の中にも少しだけ浸透したように思いました。

 

差別については、独立していたと思われる言葉などが、思わぬところに繋がり軽蔑・差別に繋がったりします。また、単純な言葉だとしても、言ってない何かを含んでしまうこともあると言います。これらは、私自身にも起こりうることだと感じました。もし、私が当事者になる場合は、発言する側にも、受け取る側にもなりえます。しかし、私が思ってもないことを不快に捉えてしまう人がいると考えると、凄く難しく感じてきました。人とコミュニケーションをとる際に、すれ違うことは仕方のないことだとも言えます。

 

さて、今回の授業内容に触れていきましょう!!

哲学対話で大切な、自分の言葉でゆっくり話すということを意識しながら、話し合っていきました。

 

われわれは自分が愛着を持っているコミュニティーに対して、他人にも同じように愛着を持ってもらいたいと思うのはなぜか

 

②怠け者のB君を「人間として」尊敬しなさい、という言葉はなぜ問題なのか

 

という二つの問いについて考えていきます。

 

まずは、①からです。私が持った考えとしては、そもそも他人にも同じように愛着を持ってほしいとあまり思いませんでした。

愛着を分かりやすく好きなものと捉えると、私が好きなものは、人にも好きになってほしいという考えがないからです。どちらかというと、たくさんの人がいればいるほど感じることができる、人によっての違いを楽しみたいタイプです。グループで話し合った際にも、そもそも・・・という同じ考えの人が出てきましたが、どういう場面で①のような気持ちになるかを考えたときに、組織感という言葉が出てきて、例えば学校の行事などで文化祭・運動会など自分のコミュニティに愛着が沸くという例には納得しました。たしかに、自分の学校生活を振り返っても、クラス全体で何かを頑張るという、愛着の共有感が漂っていたからです。組織の中では、リーダーなど役職の責任などから、愛着へと繋がるという意見もあり、そういう立場だとより一層、愛着を共有したいという気持ちは強いのかなと考えました。

私一人の意見だと、問いに沿う考えが出来ませんでしたが、みんなの意見を聞きながら、考えを深めることで、問いの答えに少しでも近づけるなと、嬉しくなりました。

 

 

毎回、二つの問いがあると、難しくて、はじめの問いにほとんどの時間を使ってしまいます(-_-;)なので②はあまり話し合えず、私もよく分からないままでした。

改めて考えてみると、まず、テキストでは怠け者のB君を、勤勉なA君と比べています。人と比べてしまうことはあったとしても、勉強ができない・怠けた態度をとっているからといって、人間として尊敬できないとまでなるのかな?と疑問に思いました。なのでこの言葉を言うこと自体に問題はないと考えます。しかし、比べているA君の気持ちに問題が出てきてしまうと思いました。もし、勉強を頑張ることや良い行いが内発的なものではなかったら、B君が尊敬される(認められる)ことに矛盾を感じてしまうように思えるからです。なので②の問いに関して、問題なのかは半々な気持ちです。

 

余談ですが、私はソクラテスという哲学者が好きなので、須長先生が議論のキーワードとして、ソクラテス的窮状を取り上げていて、嬉しくなりました。問いを問い続け、無知の知に至ったという例は、「汝自身を知れ」という私の好きな言葉と通じています。

 

最初に比べると少しだけ、哲学に慣れてきたと感じましたが、まだまだ難しいので、残り少ないですが、頑張りたいです。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^