ゼミ「ヒマとはなにか?」

久しぶりのブログ更新は…オンラインでのゼミになってからのお話です!!

学校はいつから始まるのかな~とソワソワ…

だけど家の中でもたくさんのことができるので、意外とおうち時間も好きだったり…

そしてこの期間に「パソコン」を手に入れました。私は「携帯っ子(とは?)」だったので、携帯の小さい画面で小さい文字を、永遠と見てたのですが、「パソコン」を手に入れて、激変です!!!YouTubeだってブログだってとても見やすく楽しくなりました!(^^)!文字の色だって変えれちゃう

オンラインでのゼミ活動が始まり、みんなのそれぞれの自粛中にしたこと・観た映画などを紹介しました。それぞれ新たな趣味を見つけていたりと、すごいな~と思いました。

 

さて、本題に入ります。

今回のゼミでは、表をもとに、みんながそれぞれ「退屈・暇」の度合いを表す番号に分かれてみました。このような表です。

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 私は、「退屈でない・暇である」の2番を選びました。理由は、たくさんしたいことがあって退屈ではないけど、暇か?と言われてしまえば、たしかに私がしていることは、暇だからこそやっていると、いえそうなものばかりだったからです。この時の「暇である」の意見は自分のなかで、かなり曖昧です…

 

まず、同じ番号を選んだ人たちとグループになって話し合いましたが、その時出してくれた意見で、「予定をすぐに空けようと思えば、空けれるから暇」とありました。たしかに自分もそうだと思い、納得し共感しました。

 

しかしその後、3番や4番を選んだ人たちと話し合う中で、退屈の考え方が同じだとしても、「ヒマ」という部分が引っかかってきました。私は物理的な意味での暇だと、捉えましたが、感情面での暇という考えもあります。この問いを見たとき、凄く単純なものだと思いましたが、みんなで話し合ってみると、難しい問いに思えてきました…

 

私は、周りの人たちが「暇だな~」と口ずさむ時の情景を考えてみます。

暇だから遊ぼう・雨で暇になった・暇つぶしに〇〇しよう などが思い浮かび、時間的な意味を感じました。なので、その逆の「暇でない」場合を考えたときに、時間に追われているという意味があると思いました。しかし、さらなる疑問も出てきます。時間に追われているの捉え方です。本当に時間だけを見て追われていると感じるのか、時間というよりも体感した中身が大きくて追われているかです。(ここまできてしまうと、私の頭の中も混乱しています。)けれど、これが「ヒマとはなにか?」に近く、繋がっている気がします。

この一つの言葉にしてもそれぞれのモノサシでの捉え方では、考えが変わってくるなと感じました。捉え方次第と言ってしまえば、終着点がかなりあやふやなままですが、今回はここまでとします。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^